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最高裁判所第一小法廷 昭和39年(行ツ)22号 判決

上告人 文部大臣

補助参加人 松岩寺

被上告人 永井一英

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人補助参加人代理人田中仙吉の上告理由第一点について。

論旨は、本件裁決に基づき宮城県知事のした新宗教法人松岩寺規則の認証処分に対して、被上告人を代表者とする旧宗教法人松巌寺(以下旧松巌寺と称する。)から右知事を被告とした取消訴訟が、仙台地方裁判所に本件訴訟に先き立つて提起されている事実を挙げ、右の訴は、結局本件と目的および理由を同じくし、右の訴をもつて本件裁決の取消を求める目的を達成できるものであるから、右の訴がすでに係属していた以上、本件の請求には、訴訟上の客観的利益は存しないという。

しかし、所論の別訴において本件裁決の拘束を受けてなされた知事の規則認証処分の適否が争われることによつて、右知事を拘束する裁決自体の取消の効果をもたらすものではないから、右別訴の存在が本件裁決の取消訴訟を無意義ならしめるものでないことは多言を要しない。また、旧松巌寺と被上告人とは異なる権利主体であるから、その被つた権利利益の侵害がともに右裁決と規則認証処分のいずれにも原因するとしても、旧松巌寺が自身の権利利益の救済を求める目的をもつて右認証処分の取消を訴求したために、被上告人に自已の地位の回復を目的として右裁決の取消を訴求する利益の失われる理由のないことも、明らかである。論旨は採用に値しない。

つぎに論旨は、被上告人は、本件裁決に基づく知事の規則認証処分によつて、自已の権利利益の侵害を被るはずはなく、従つて、本件請求につき、訴訟上の主観的利益を有しない旨を主張する。

しかし、被上告人は、その主張によれば、旧松巌寺の住職に任命されたところ、違法な本件裁決に基づき規則認証が行なわれ、新宗教法人松岩寺(以下新松岩寺と称する。)の設立登記があつたため、(宗教法人法附則一八項により、旧松巌寺は解散となり、その権利義務は新松岩寺に承継され、被上告人はその地位を失つたというのであり、もし違法な裁決がなく、さきになされた知事の規則認証の拒否処分が維持されたとしたならば、新松岩寺の設立はなく、旧松巌寺嘆たとえ宗教法人法附財一七項により解散したとしても、なお従来の権利義務を保有する清算法人として存在し、被上告人はこれを主宰しえたはずであつたことを認めることができる。そして本件裁決取消判決の結果は、知事をして前示規則認証処分を取り消すべく拘束し、その認証拒否処分を復活し、新松岩寺を解散に至らしめるものである。そして、被上告人についてはその地位を違法裁決のなかつた以前に回復させる途が生じ得るのであるから、被上告人に所論の訴の利益がないとはいえない。それ故、論旨は理由がなく採用に値しない。

同第二点について。

論旨は、曹洞宗が旧松巌寺住職松山岩王を曹洞宗寺院住職任免規程一一条によつて罷免したのを有効と認めた原判決は、なんら適切な証拠に基づくことなくして右一一条にいう住職が檀信徒の大多数から不信任の表示を受けた場倉と判断した点において、またその罷免を右松山において曹洞宗の被包括関係を離脱し単立寺院の段立を企図したことに対する報復と認めなかつた点においていずれも経験則の違背が存するのみならず、後者の点において、宗教法人法七八条を適用して右罷免を無効としなかつた法律適用の誤りがあるというのである。

しかし、松山住職について、はその所業が、次第に檀徒等の疑惑を招き、不信不満をつのらせて、遂に住職罷免の問題に発展したものであつて、同住職に対する不信任を表明した者は、檀信徒の大多数といつて妨げない人数にのぼつていること、また曹洞宗としては、松山の被包括関係の離脱を快よしとしない点はあつたにしても、そのために罷免措置をとつたものでないことは、原判決がその挙示の証拠と弁論の全趣旨によつて認定したところであつて、その認定判断は首肯するに足り、これに所論の違法は認められない。従つてまた宗教法人法七八条の適用を主張する所論へその前提を欠くものというほかなく、論旨はいずれも採用できない。

同第三点について。

論旨は、原判決が宗教法人法一四条所定の所轄庁の規則認証に関する審査について、形式的書類審査では不十分とし、実質的審査によるべきものとしたのは、同条の解釈適用を誤つものというにある。

規則認証のためにする所轄庁の審査は、認証申請書の添附書類の記載によつて申請にかかる事案が宗教法人法一四条一項各号にかかげる要件を充しているか否かを審査すべきものではあるが、1それにしても、その審査事項を証するために提出を要する添附書類は、証明事実の真実の存在を首肯させるに足りる適切な文書であることを必要とし、単に形式的に証明文言の記載ある文書が調つているだけで足りるものではない。また証明書類は存するにしても、証明事実の虚偽であることが所轄庁に知れているときはもちろん、所轄庁において証明事実の存否に理由ある疑をもつ場合には、その疑を解明するためにその事実の存否につき審査をしたからといつて、これをその権限の逸脱とはなしがたい。このことは、右規則の認証を、宗教団体の実体を具えないものあるいは法令違背の規則をもつもの、その他組織不備のものの宗教法人格取得を抑止するためのものと解する以上、当然といわなければならない。してみれば、本件において上告人の裁決の適否を審査判断するにあたつても、規則の認証申請書の添附書類中に審査事項の証明に適切でないものあるいは証明事実の存在を疑うに足りる理由があると認めるのを相当とするのがあるならば、それらの点については、もともと知事の処分あるいは上告人の裁決にあたつてその点につき審査をすべきであつた事項と認め、その証明事実の存否を他の証拠によつて認定することは、これを妨げないというべきである。ただ原判決には、このように添附書類との関係において審査を要する場合であるか否かについて十分に思いを致さず、その審査事項の存否の争われるもののすべてにわたつて審査を行なつたのであるが、しかし審査事項に関し添附書類の記載と異なる事実が認定され、すでに証明文書等の不実の記載が判明する以上、いまさらそれら事実に目を蔽つて本件規則認証申請を許容すべきものとした裁決の判断を相当として支持することはできいものというべきである。のみならず、原判決は、旧松巌寺住職松山岩王が、曹洞宗から住職罷免を受けて同寺の代表者たる資格を失い、本件訴願の提起についてはその権限のなかつた旨を判示し、この点においても本件裁決はすでに取消を免れないとするものであつて、その判断は正当と認められるから、所論はもともと原判決の結果に影響を及ぼすものではない。

論旨は採用しがたい。

同第四点について。

論旨は、原判決が本件につき行政事件訴訟法三一条を適用しなかつたのを違法というのである。

しかし、本件裁決を取り消す結果が、新松岩寺の設立の基礎を失わしめることになるとしても、原判決の認定した事情によれば、必ずしもそれは公の利益に著しい障害を生ずる場合とは認めがたく、これを行政事件訴訟法三一条によつ嚮て請求の棄却を相当とするものということはできない。論旨は理由がない。

同第五点について。

論旨は、原判決が、本件裁決によつて松山岩王を住職、代表役員とする単立寺院を設立させるに至つたことを、多数檀徒の意嚮に副わないものと判示したのについて、宗教法人法二条にいう宗教団体の意義を誤解した違法があるという。」

しかし原判決は、大多数の檀徒等は正当な住職である被上告人のもとに旧松巌寺を曹洞宗と被包括関係を維持しながら再建することを希望している事実を認め、これに対して裁決の結果は多数の檀徒等の意纈をふみにじつたことになる旨を判示したのにとどまり、単立寺院が宗教法人法二条にいう宗教団体にあたらないから檀徒等の意嚮をふみにじつたことになる旨を判示したところはない。論旨はひつきよう原判示を正解しないものであつて、採用に値しない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 長部謹吾 入江俊郎 松田二郎 岩田誠)

上告人補助参加人代理人田中仙吉の上告理由

第一点原判決は被上告人の権利保護要件に関する判断を誤つた違法がある。

一、本件訴訟における客観的利益の不存在について

(一) 被上告人は、原審控訴人文部大臣が昭和三十年九月二九日付でなした上告人宗教法人松岩寺の寺院規則の認証に関する訴願を容認する旨の裁決の取消を求めるため、昭和三十一年三月二十三日本件訴訟を第一審の東京地方判裁所に提起した(同庁昭和三一年(行)第三一号事件)ものであるが、しかし、これに先だつて、被上告人を主管者とする旧宗教法人松巌寺は、宮城県知事を被告として、宮城県知事が昭和三十年十月十一日付でなした上告人宗教法人松岩寺規則の認証の取消を求める旨の行政処分取消の訴を仙台地方裁判所に提起している(同庁昭和三〇年(行)第一九号寺院規則認証取消請求事件)のであり、このことは、本件訴訟記録に徴して明らかである(甲第二十四、二十五、二十六、三十一号証、乙第十号証の一乃至五、丙第四十五号の一乃至四十九号証等)。

(二) 右の二つの訴訟は、原告が一方は被上告人個人であり、他方は被上告人を主管代表者とする旧松巌寺である点において一応両者は別個の訴訟と考えられるけれども、宮城県知事のなした上告人の寺院規則の認証決定は原判決認定のとおり、本件訴訟において問題とされている文部大臣の裁決を前提としてなされたものであるから、右裁決の取消を求める本件訴訟と宮城県知事のなした上告人の寺院規則の認証取消を求める前記訴訟とは究極的には、上告人の寺院規則の認証という一連の行政処分の取消を求めるという点において同一の目的に帰するものであり、両者は実質的にも同一の理由に基づくものである。

(三) かように、同一の目的及び理由により、上告人の寺院規則認証の取消と、その前提となるべき本件裁決の取消とを共に求めている場合、もし先に右認証の取消請求が認容され、その認証が取消されれば、その確定判決は行政事件訴訟法第三十三条(行政事件訴訟特例法第十二条)により、その認証の前提となる本件裁決をなした関係行政庁である訴顔庁即ち文部大臣を拘束することにより、原告たる旧松巌寺又は被上告人はそれぞれの立場から、右判決理由に判示されるところの本件裁決の連法を右訴願庁に対して主張することができ、一方、訴願庁としては右のような裁判所の判断がなされた以上、それに基づいて本件裁決を取消さざるを得なくなるのであるから、被上告人としてはそれによつて本件訴訟の目的即ち、本件裁決処分の取消を求める目的を達成することができ、もはや、本件訴訟を維持する必要性は存在しなくなるのである。

(四) また、仙台地方裁判所に提起した前記事件のほかに、本訴の提起が許容されるとすれば、二つの裁判所において、ともに、本件裁決の違法性の有無について審理することになつて、その審理が重複するばかりでなく、その審理の結果、二つの判決がその結論を異にするようなことが生じた場合には、両方の訴訟当事者とくに処分庁たる宮城県及び裁決庁たる文部大臣は相互に他の確定判決に拘束される関係上、本件裁決の違法性の有無に関する矛盾抵触する二つの判断によつて、各自のなした行政処分の取消をめぐつて無用の混乱を生ずることが明白である。従つて、かかる二つの訴訟がその原告当事者を異にするとしても、その目的及び請求理由が同一である以上、両者いずれかの訴訟において、原告の目的が達成されるのであるから、さらに重ねて他方の訴訟を併せて提起する訴訟上の利益ないしは必要性が全く存在しないというべきであり、判例もそのように解している(大阪地方裁判所昭和二十五年一月二十三日判決、昭和二四年(行)第一〇八号、行裁例集一巻二号二七八頁、仙台高等裁判所昭和二十五年二月十三日判決、昭和二四年(ネ)第三八号、行裁例集第一巻三号三七四頁等参照)。してみると、被上告人の本訴請求は訴訟上の客観的利益が存在しないものというべきであるから却下されるべきである。

しかるに、原判決が、かかる客観的利益の存在を前提として本訴請求を認容したことは、審理不尽ないしは訴訟上の権利保護要件についてその判断を誤つたものというべきである。

二 本件訴訟における主観的利益の不存在について

(一) 原判決は、被上告人の当事書適格について「被控訴人(被上告人)は旧松巌寺の住職に任命されたところ、本件裁決にもとづき、新松岩寺規則が認証され、その設立登記を経たため、宗教法人法附則第十八項により旧松巌寺が解散して、その権利義務は新松岩寺が承継して被控訴人はその地位を失つたものであるから、本件裁決の取消を求める利益のあることは当然である。」(理由第一項)また「本件裁決が取り消されれば旧松巌寺が復活しその権利義務を保有し、同法附則により解散したものとされれば、清算に入か、清算法人とし存続するに反し、新松岩寺は設立の基礎を失い、いわんや旧松巌寺の権利義務を承継することはないのである。従つて、本訴請求の実益がないとの主張は、理由がない。」と判示している。

しかし、これは、民事訴訟法における当事者適格の解釈ないしは判断を誤つたものであり、以下の理由から被上告人には本件の裁決処分の取消を求めるに足りる訴の主観的利益が存しないもめというべきである。

(二) 一般に行政処分の取消を求め得る出訴者は当該行政処分によつて法律上保護されるに足りる正当な利益を侵害されたことを要し、その利益も単なる法規の反射的利益だけでは足りず、また当該行政行為に対して抽象的一般的な利害関係を有するだけでは十分でないと解されている(法律学全集、雄川一郎著「行政争訟法」一七〇頁参照)。そこで、本件訴訟において本件裁決の当否を争い得る適格を有するものは、まず本件裁決に基づいてなされた宮城県知事の本件寺院規則認証決定によつて自己の何等かの権利又は法律上の利益を侵害されないしは侵害されたものでなければならないのである。

ところで、宗教法人設立に関する宗教法人法第十四条の当該寺院規則に対する県知事の認証決定は、当該宗教団体に対して権利を付与する性質の行為でなく、単に右宗教団体に法人格を付与する前提としてなされる認可処分にすぎないものであり、また、宗教法人の設立及び存続の要件とされる寺院規則は、宗教団体が宗教法人法の定めるところに従い法人格を取得してその宗教活動及び団体運営を行うため、当該団体構成の基幹たる宗教的組織活動の根本並びに構成員の内部規律等を定めた当該団体の自律規定であつて、その拘束力は性質上、これによつて成立した当該団体ないしは法人の構成員のみに及び構成員以外の第三者に対しては及ばないものであるから、従つて、かかる第三者は当該認証決定ないしは本件裁決につき、その取消変更を求める訴訟上の利益は何等存在しないものというべきである(鹿児島地方裁判所昭和二十九年十一月三十日判決、昭和二八年(行)第五号、行裁例集第五巻第十一号三七七頁参照)。

(三) そこで、本件における被上告人が本件寺院規則によつて成立した新松岩寺の構成員であるか否か、即ち、右規則によつてその拘束力を受けるものであるか否かについて検討しなげればならない。

原判決認定事実によれば、被上告人は、旧松巌寺が当該寺院規則認証につき宮城県知事に再審査の請求をなした後の昭和二十九年五月十三日曹洞宗より先に罷免された松山岩王の後任として右寺院の住職に任命されたものであるが、然し、被上告人は松山が企図する単立寺院設立に反対であり、あくまで曹洞宗との被包括関係を維持する旧松巌寺の再建に奔走していたことは被上告人主張自体明らかであか、また、被上告人は新松岩寺設立後においても、その住職或いは檀徒としてその構成員となつたことがないことも明白である。

してみると、被上告人は新松岩寺との関係においては単なる第三者にすぎないから本件裁決に基づいて認証された上告人の寺院規則には何等の拘束もうけず、ましてや、その前提としてなされた本件裁決にはこれまた何等の拘束をもうけるものではないのである。従つて、被上告人は本件裁決によつて、その権利又は法律上の利益を侵害される者ということはできないのである。

さらに、原判決は新松岩寺規則が認証されれば宗教法人法附則第十八項により旧松巌寺が解散し、その権利義務は新松岩寺が承継して、被上告人はその地位を失うに至るから本件裁決の取消を求める利益がある旨判示しているけれども、被上告人が、旧松巌寺の住職たる地位を失うということは本件裁決による直接的な法律上の効果ではなく、単なる反射的な効果というべきものであるから、その侵害される利益というものも、本件裁決或いは当該規則認証という行政処分の単なる反射的科益と解すべきであり、そしてまた、被上告人と右行政処分との関係も、とくに本件裁決処分の段階においては一般的抽象的な利害関係があるにすぎないものと解すべきである。

(四) また判例(東京高等裁判所昭和三十三年八月三十日判決、同三二年(ネ)第一三八八号、行裁例集第八巻掲載判例一五四・新潟地方裁判所昭和三十二年四月二十七日判決、昭和二九年(行)第二〇号行裁例集八巻四号七六七頁)によれば、旧宗教法人が宗教法人法附則第五項の規定によつて新宗教法人となつても、これによつて、旧宗教法人の信者その他の利害関係人であつた者が直ちに何等の不利益をうけるものでないから、旧宗教法人の信徒総代及び利害関係人は同項による所轄庁の規則認証決定の無効確認を訴求する利益を有しないと解されている。

そこで「本件について考察すると、仮りに、上告人の本件寺院規則認証申請手続において、被上告人主張のような形式的瑕疵があつたとしても、旧宗教法人松巌寺が新宗教法人法による宗教団体として法人格を取得し新たに発足存続することは、当該新宗教法人松岩寺が従来の曹洞宗との包括関係から離脱した所謂単立寺院となる点はともかくとしても、旧松巌寺の檀徒その他の利害関係人の一般的意思に合致するところであるから(このことは、被上告人及び檀徒総代及川養治郎等が昭和二十九年四月三日あらたに、宮城県知事に対し、被包括関係の継続を内容とする寺院規則認証申請手続をなしたことから推認できる。)その限りにおいて、旧松巌寺住職松山岩王が本件寺院規則認証申請をなし、本件裁決を経て新宗教法人松岩寺を設立したことは四百年もの歴史を有する旧松巌寺の断絶を防止した点において当該寺院の檀徒及びその利害関係人のため利益にこそなれ、決して不利益にはならないのである。ただ、右檀徒等の中には、新松岩寺が曹洞宗との包括関係を離脱し、単立寺院となること、松山岩王が右寺院の寺院主管者たる住職の地位にとどまることについて反対するものがあつたことは原判決認定のとおりであるけれども、これは、旧宗教法人が宗教法人法附則第五項の規定により新宗教法人としての法人格を取得して存続することは別個に考察せらるべき問題がある。蓋し、旧松巌寺が単立寺院たる新宗教法人として発足したとしても、これに反対する檀徒等は、宗教法人法所定の手続によつて、再び曹洞宗との包括関係の設定を復活させることができるし、又、松山岩王が主管者として適任かどうかも檀徒等の意思によつて決することができ、これらはいずれも当該寺院の内部的関係にとどまるものだからである。

かように、新宗教法人松岩寺の設立は旧松巌寺の檀徒及びその利害関係人等に対し何等の不利益を与えるものではないのであるから、仮に被上告人が旧松巌寺の住職に任命されその主管者たる地位を有するとしてもかような場合に同人に対し、新松岩寺寺院規則の認証の前提的処分たる本件裁決につき、その取消の請求を許容する必要はないし、また折角設立した新宗教法人の成立を阻止すべき権限を是認することは、信教の自由の保障の限度を超えたものであり、そのような権限は全く存しないものというべきである。

またこのことは宗教法人法が当該寺院規則の認証をすることができない旨の決定を受けた者が、再審査請求、訴願等の不服申立の手続を明定していながら、規則を認証する旨の決定に対する檀徒その他の利害関係人からの不服申立の手続について何等規定するところがなく、宗教法人法それ自体が右の者等が寺院規則の認証決定に対してその無効取消を主張することを予想していなかつたことからも主肯できるものと考える。

折角設立した新宗教法人を単に住職たる地位が喪失するという理由から、その住職たる地位にある被上告人に本件の取清請求権を認めた原判決は、徒らに当該寺院の存続を阻害し、存続を願う檀徒等に不必要な危懼の念を抱かせ、さらに無用の混乱を惹起させるものであつて、まさに、本末顛倒した判断といわざるを得ない

以上のとおり、被上告人には当事者適格がないことが明白であるから、本訴は却下ないし棄却されるべきである。

第二点原判決は、曹洞宗の松山岩王に対する住職罷免の効力の認定につき、経験法則に違反して事実を認定した採証上の違法があり、且つ、宗教法人法第七十八条の解釈・適用を誤つた違法がある。

一、罷免要件の欠缺について

(一) 曹洞宗が松山岩王を罷免した根拠というべき曹洞宗寺院住職任免規程第十一条によれば、住職の罷免は住職が檀信徒の大多数から不信任の表示をうけたことを要件としており、この大多数というのは少くとも過半数以上のことを意味するものと解されるのであるが、原判決は昭和二十九年四月頃の旧松巌寺の檀徒総数は約三〇〇戸であり、その他に若干信徒があり(原判決十三枚目六、七行目)同月七日には檀徒約百十七名、白紙委任状によるもの約一四九名をもつて檀徒総会を開催し、松山を住職から罷免することを決議し、それより先だつ同年三月頃、松山不信任の署名を集めたところ二百余名の署名を得た旨判示しているが(同書十二枚十行目以下)しかし、旧松巌寺には当時その人数を確認し得るに足りる正式の檀徒名簿なるものは存在せず、右認定に供された「松巌寺現住職不信任上申同意者芳名簿」(甲第六乃至第八号証)及び曹洞宗作成の檀徒数に関する証明書(甲第十九号証)も長年旧松巌寺の住職を勤めてきた松山岩王の是認せざるところであり、却つて、第二審証人川原田生、同松山岩王等の各証言によつてその成立が認められる乙第十一号証(壇信徒名簿)によれば、昭和二十九年当時の檀信徒数は三〇〇戸にとどまらず、それ以上の数に上ることが窺い知れるのであるが、いずれにせよ、旧松巌寺の檀徒総数が約三〇〇戸である・ことを確認するに足りる適切な証拠は何等存在しないのである。

また前記総会において松山不信任の意思表示をしたものの中には松山に反対し、被上告人を支持する一部の有力総代に使嗾され又はそれら有力者の社会的、経済的圧力の下に心ならずもそのような態度を示したものも数多くあり、一四九通の委任状の作成者がはたして全員がかかる委任状の趣旨を理解し、また、その発起人等が、いかなる趣旨で集めたものであるか不明であり、従つて委任状提出者の殆んどが真実松山不信任の意向をもつていたかどうか極めて疑問である。

(二) 一般に地方における末寺の檀徒というものは一部の有力総代等を除いて住職等責任役員の地位の変動及び寺院の運営といつたものに関して無関心なものが多く、本件の場合においても、松山に対する不信任運動に参加した檀徒の中には心ならずも、反松山派の有力檀徒の積極的な策動によつて、不信任上申書等に署名したものが相当数あるものというべきである。このことは、反松山派の檀徒等が、旧松巌寺が新宗教法人法に基づいて新宗教法人として発足することについて何等の関心を示したこともなく、松山が、本件寺院規則の認証申請手続をなした後において、はじめて新宗教法人設立問題に気がついて松山に対する不信任運動を展開するに至つたことから推認できるところである。

また、長年旧松巌寺の住職の地位にあつて檀徒等の仏事を担当し、その支持を得てきた松山に対して、檀信徒等の大多数が俄かに不信任の意思を表明するといつたことは極めて不自然というべきものである。このことは、前記「松巌寺現住職不信任上申同意者芳名簿」に署名した者の中には旧松巌寺の檀信徒でない者もあるほか、阿部松治の刑事事件に対する嘆願のためという意味で署名した者もかなり多数を占め、さらに松山を信任する旨の署名を得て作成された宮城県知事に対する「新松岩寺認証確認書下附申請書」(丙第十一号証)にも名前を列記している者がある点からも明らかである。従つて、署名者の中には反松山派の一部有力檀徒の作為によつて、その真意に基づかずして署名に及んだ者が相当数あることが推認できる。

(三) さらにまた、原判決のように檀信徒総数が約三〇〇戸であるとしても、檀信徒が一戸当り一人ということは吾人の経験則からして考えられないところであり、その人数の上から算定すべき檀信徒の総数は三〇〇をはるかに超えるものというべきである。してみると不信任者二六六名という数だけでは、檀信徒の総数の過半数に該当するかどうか全く疑問を持たざるを得ないのである。

かように罷免の形式的要件が充足せられているかどうか不明であるに拘わらず、原判決が、右要件の具備を肯認したことは明らかに右認定において、吾入の日常生活における経験法則に相反する判断をしたものであつて、失当である。

二、罷免の実質的無効について

(一) 原判決は曹洞宗が松山岩王を罷免したのは、同人に曹洞宗住職任免規程第十一条所定の事由があることにより同条に基づいてなしたものであり、また、当該罷免事由の存在することを認定してその有効なる旨判示しているけれども(理由第十項)、しかし右判決は罷免が前記規程第十一条に基づいてなされたと認定したことにおいてまず事実の誤認をしたものというべきである。

(二) 仮りに松山岩王に旧松巌寺の住職として、寺有財産の処置をめぐつて、不適切な点があり、一部の檀徒総代等との間に対立抗争するようなことがあつたとしても、それは、はるか終戦前に惹起していた問題であるから、曹洞宗がかかる点から松山を罷免するとすれば、それは本件の寺院認証申請の問題が提起される以前に既になされていた筈である。

ところが、原判決の認定事実によると、松山に対する有力檀徒等の不信任運動が開始され、それが活発化してきたのは、松山が本件寺院規則認証申請手続後であることが明らかである、その不信運動も、松山が、昭和二十六年四月宗教法人法の施行により包括団体の同意を要せずして容易に被包括関係を廃止して単立寺院となる道が開かれたことにより、この機会に曹洞宗から離脱して精神的、経済的従属関係を断ち、単立寺院として自由な宗教活動に入りたいと考えて(原判決十枚目裏一行目以下)新宗教法人松岩寺の設立を企図しその趣旨を反対派の檀徒等が開催した檀徒総会の席上において、釈明に及んだのであるが、右檀徒等の了承を得られるまでに至らず(同十三枚目一行目以下)却つて、檀徒等は、松山が単立寺院を設立して旧松巌寺を勝手に私有物化せんとしているものであると解するに至つたことに端を発したものであることが容易に推測されるところである。

従つて、檀徒等の不信任運動並びに松山に対する罷免上申の理由の主たるものは、結局、松山が被包括関係を離脱した単立寺院の設立を主張して譲らなかつた点にあり、その他の事由は単にその附随的な理由に過ぎなかつたのである。

(三)そこで、松山に対する檀徒等の罷免上申を受けた曹洞宗の罷免理由について考察する。原判決は曹洞宗が松山を罷免したのは、多数の檀徒等が松山追放の決議を支持して松山に帰依せず、反面、松山もその所信を曲げず檀徒等と融和する意向が全くないことが明らかとなつたので、松山が檀徒の帰依を受けて寺院を維持すべき住職の任に不適当であると認定したことによるものと、(同十三枚目八行目以下)判示しているけれども、これは単なる表面上の理由又は口実にすぎないものであつて、真実は松山が曹洞宗との被包括関係を廃止して単立寺院の設立を企てたことを理由にしたものである。

このことは、罷免の時期が、旧松巌寺代表者松山岩王が曹潤宗との被包括関係廃止の手続を進めた後であり、ことにその被包括関係廃止を内容とする規則が現実に所轄庁たる宮後県知事に提出された日である昭和二十九年三月三十日の直後であるという一事によつても十分推認することができるのである。そしてさらに、第一、二審証人川原田生の各証言等によれば、旧松巌寺の総代として、川原田生が、昭和二十九年四月二十一日松巌寺が、曹洞宗から離脱することについて了解を求めるため曹洞宗宗務庁を訪れ、宗教総長と面談した際、庶務部長は川原田を見て「これは敵側だな」という意味のことを述べており、また宗務総長が「松巌寺が離脱するなら首を切る」旨述べていたこと、さらに宗務庁庶務部長本多喜禅が松山の姉北村ときわに対し「松巌寺が包括寺院になりさえすれば、罷免は取消されるのだから、そのように働きかけてもらいたい」旨述べたことが認められるのであるが、これらの事実に徴すれば、曹洞宗が松山を罷免した真の理由は正に被包括関係の離脱を企図したことにあつたことによるものであり、とくに、檀徒等の不信任の主たる理由もその点にあつたことを考え併わせると、松山罷免の実質的理由がどこにあつたかは容易に理解できるところである。

(四) かように、曹洞宗は住職任免規程第十一条に藉口し、松山が被包括関係を離脱して単立寺院を企てたとの実質的な理由によつて、罷免したものである。仮りに、右の理由が直接的な理由でなかつたとしても、それが松山罷免の直接的な動機であつたことは疑う余地がないものというべきである。このことは、原判決が、曹洞宗としては松山の被包括関係の離脱を快よしとしない点があつたことを判示していること、また松山に対する罷免が前述のように松山が現実に被包括関係廃止を内容とする規則を宮城県知事に提出した日の直後、即ち、昭和二十九年四月二十一日付でなされたことの事実に照して明らかである。

三、宗教法人法第七十八条の適用について

(一) 原判決は、曹洞宗が松山を罷免したのは松山が檀徒の意向を無視して信頼を失い住職として寺院を維持する職責を果し得なくなつたので、これを不適当と認めたことによるものであるから、右罷免は右法条に該当しない旨判示しているが、(理由第十二項)しかし、右の判断は本件の真相を黙過した皮相的な判断に基づくものである。

仮りに右の罷免が住職任免規程第十一条所定の事由に該当することを理由になされたとしても、それは前述のとおり単なる表面的形式的な理由にすぎず、実際は松山が被包括関係の離脱を企図したことに対する制裁的意味から右罷免に及んだことが明白であるから、宗教法人法第七十八条第一、二項の規定が適用され、右罷免は無効であると解すべきである。

また、右の罷免が、仮りに原判決認定の事由に基づいてなされたとしても、その罷免の動機が、被包括関係からの離脱を企てたことに存する場合にも右法条の適用があるものと考えるべきであるから、右罷免は前同様無効と解さざるを得ないのである。

(二) そもそも前記法条は宗教団体が独自の自由なる宗教活動を行うために、被包括関係からの離脱が容易にできるように定め、その廃止によつて包括宗教団体が、その被包括宗教団体の代表役員等に対して不利益な取扱をしてはならないよう所謂不利益処分の禁止を明示し、もつて憲法第二十条の信仰の自由を具体的に保護するために設けられたものであるから、同法条の解釈適用にあたつては、その法意を限定的に解すべきでなく、またその適用の範囲、対象も広く認めらるべきである。蓋し、本件のように、住職の罷免が実質的には包括団体との被包括関係の廃止を企図したことを理由にし或いはそれが直接の動機となつて行なわれたにも拘わらず、表面的には他の所定の事由に基づいて罷免されたような場合に、本条の適用がないとすれば、被包括関係にある宗教団体の離脱を阻止せんとする包括団体たる宗教法人は常に他の所定事由に藉口して被包括関係の廃止、離脱を企図する宗教団体に対して容易に不利益処分を加える機会を与え又はそのような脱法的手段を弄することを黙認することになり、遂には被包括宗教団体の自由なる宗教活動を束縛する結果になつて同条の趣旨は全く没却されてしまうからである。

四、以上のとおり、原判決は松山に対する曹洞宗の罷免について吾人の経験則に反して事実を誤認し、かつ、宗教法人法第七十八条の解釈、適用を誤つたものであるから、不当といわざるを得ない。

第三点原判決は本件認証申請に対する所轄庁の審査権につき、宗教法人法第十四条の解釈を誤つた違法がある。

原判決は、「寺院規則の認証は設立される宗教法人が同法第十二条の資格要件を備え、所定の手続を履践したこどを確認し証明する行為であつて、単に提出された文書の形式が備わつているだけで十分なものであるとはいえない」旨判示し、第十四条の審査につき、形式的書類審査では不十分であるとして所轄庁に実質的審査義務を課しいるのであるが、こは失当である。

即ち、宗教法人法第十四条は、認証申請があつた場合は所轄庁としては実質的な審査義務を課せられたと解すべきではなく、単に規則及び添付の書類を審査することにより申請の要件の具備或いは欠缺について判断し、認証又は認証しない旨の決定をする義務を課したにとどまり、それ以上の審査義務を課したものでないと解すべきである(東京地方裁判所昭和三十三年)十一月十三日判決、昭和三二年(行)第八一号行裁例集第九巻第十一号二五七頁参照)。蓋し、宗教法人設立に関する寺院規則に対する県知事の認証決定は、前述のとおり、当該宗教団体に対して権利を付与する性質の行為ではなく、右宗教団体に法人格を付与する前提としてなされる認可的処分にすぎないものであり、また申請の審査につき、実質的審査義務を課することは、所轄庁における当該審査事務手続を著しく煩雑ならしめ、過重なる義務を負担せしめることになつて、同条第四項が所轄庁に対して、認証申請受理の日から三ヵ月以内という短期間に認証決定をなす義務を課した同項の要請に応ずることが極めて困難となり、その趣旨に合致七ないことになるからである。このことは、訴願庁が規則の認証に関する訴願の審理を行う場合も同様に解すべきものである。

してみると、文部大臣が本件裁決にあたり、上告人が提出した一件書類(乙第一号証の一乃至八)の書面審査により、第十四条第一項の要件を具備していると認定し、上告人の本件訴願を認容したことは適法であつて、そこには何等の瑕疵も存しない。

従つて、原判決には、宗教法人法第十四条の解釈を誤つた違法があるというべきである。

第四点原判決は本件事案の判決にあたり、行政事件訴訟法第三十一条第一項(行政事件訴訟特例法第十一条第一項)を適用すべきであつたにも拘わらずこれを適用せざる違法がある。

一、原判決は(1) 新松岩寺の設立は法律に定める重要な手続を履践しなかつたこと、(2) 本件訴願に際し、松山岩王は曹洞宗からの罷免により旧松巌寺の代表者資格を失つたことにより訴願権が、なかつたこと、(3) 大多数の檀徒が松山を住職とする単立寺院の設立を希望していないことを主たる理由として本件裁決の違法を認定しその取消を認容しているが(理由第十四項)しかし、(2) の理由は曹洞宗の松山に対する罷免の有効なることを前提とするものであるが、これは前述のとおり、その判断を誤つたものであるから取消の理由となり得ないし、また(3) の理由は、住職の適格性に関する当該寺院の内部的問題であつて、新宗教法人設立の問題とは別個に判断されるべきものであるから、これを以つて設立手続の瑕疵による本件裁決の違法を判断する理由とはなし得ないものというべきである。

二、そこで、仮りに、新松岩寺設立手続において(1) の理由に該当する瑕疵があつたとしてもその一事をもつて本件裁決の取消を認容することは妥当でないというべきである。

(一) 行政事件訴訟法第三十一条第一項(行政事件訴訟特別法第十一条第一項)は、行政処分の取消変更を求める請求につき理由があると認められる場合であつても、その行政処分の取消が、公益及び事件関係者に著しい損失を与え、しかも請求者の実質的な救済の方法が他に存在するような場合には裁判所は請求を棄却する旨の判決即ち事情判決をなし得る旨明規しているのであるが、本件訴訟の場合はまさにかかる事情判決をなすに適する事案であると考える。

(二) 即ち、本件裁決が取消されれば新松岩寺の設立の基礎が失われ、それによつて、一応旧松巌寺が復活するものの、宗教法人法附則第十七項によつて当然解散せざるを得ないことになり、旧松巌寺の再建を希望する檀徒及びその関係者はあらためて、設立手続をとらざるを得なくなるのである、しかしこれでは、約四百年もの歴史を有する旧松巌寺の存立に断絶をきたすことになり、当該寺院の存続を希望する大多数の檀徒の意思に相反するばかりでなく、それまで、自己の菩提寺として信仰を続けてきた檀徒等に対し、精神的動揺を与えることも明らかであり、また、新松岩寺が設立してから約十年を経過せんとしているとき、単なる規則認証申請手続上の瑕疵を理由に、その決定が取消されることは、折角成立し存続してきた新松岩寺の宗教活動をその根底から覆えす結果ともなり、既成の法律秩序ないしは法的安定性は勿論のこと、単立寺院としての新松岩寺の宗教上の自由を著しく侵害する不当のものといわなければならない。

勿論、檀徒の中には原判決認定のとおり、松山を住職とする単立寺院としての新松岩寺の設立に反対するものもいたのであるが、しかし、それらの者としても、単立寺院となることは別として、旧松巌寺が新宗教法人法に基づく宗教団体として存続することについては、何等の異議もなかつた筈である。かように檀徒等の一般的意思が旧松巌寺の存続という点にあることを考慮すれば、かかる意思を無視して、当該寺院を解散させてしまうことは檀徒等に対して物心両面に亘つて著しい損失を与えることになるのである。原判決が、かかる檀徒等の一般的意思を看過し、新松岩寺が松山を住職とする単立寺院として設立することは、これに反対する檀徒等の利益に反するとの理由から、本件裁決の取消を認容したことは、当該寺院の存続と包括関係廃止の適否との問題を混同するものであつて適切でない。

(三) また、被上告人は本件請求が棄却されたとしても、他に自己の不利益を救済すべき方法、例えば、旧住職解任請求又は住職たる地位確認の訴等を提起し得るのであるから、檀徒等の一般的利益を犠牲にしてまで、本件請求を維持する必要はないというべきである。

三、以上の事情を考慮すると、原判決のごとく、本件裁決を取消すことは、檀徒及びその関係者の利益に対して多大の損失を与える結果即ち、公共の福祉に適合しないものであるから、本件の判決に際しては、前記法条を適用し、本件請求を棄却するのが相当であると思料する。従つて、原判決には、右法条の適用をしなかつた違法があるというべきである。

以上のとおり、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明白である法令の解釈、適用の誤り及び経験法則に反した事実の誤認があつて、違法であるから、破棄されるべきものと信ずる。

第五点原判決には、宗教法人法第二条の解釈を誤つた違法がある。

(一) 即ち、原判決は、本件裁決によ力松山岩王を住職とする単立寺院を設立させるに至つたことは、正当なる住職を無視し、多数の檀徒の意向をふみにじつたことになるものであるから、この点においても違法である旨(理由第十四項)判示しているが、しかし、上告人が曹洞宗との被包括関係を離脱して単立寺院となることが何故に檀徒等の意向をふみにじつたことになるだろうか。

(二) 上告人が単立寺院となることは、二つ以上の単位宗教団体を包括する宗教法人法第二条二号所定の包括宗教団体即ち本件における曹洞宗との被包括関係から離脱して同条一号所定の単位宗教団体になることを意味するが、これは単に宗教団体構成上の変動にとどまるものであつて、宗教の教義をひろめ、儀式有事を行い及び信者を教化育成することを目的とする同条の宗教団体であることには何等変りはないのである。

即ち、包括関係というのは宗派と寺院との関係つまり同条二号の団体と同条一号の団体との関係にすぎないのであるから、単立寺院となつたからといつて宗教団体それ自体に質的変化を生ずるものではない。

(三) とくに単立寺院には(1) 信仰、思想、行動上の自主的活動の自由、(2) 檀信徒と寺院との一体感、親和感の増大、(3) 単立法人財産の確保と檀信徒の経済的負担の軽減という利点が存することに着眼するとき、上告人が単立寺院を設立させることは、檀信徒にとつては利益にこそなれ不利益になるものではないのである。

原判決は大多数の檀徒が単立寺院の設立に反対の意向を示しているごとく判示しているけれども、しかし実際にはこれらの檀徒が単立寺院についてどれほど理解していたものかどうか疑問であり、その多くは一部の反松山派の檀徒等の使程により単立寺院設立の趣旨を曲解していたものと推認される。

単立寺院設立の当否と松山の住職適格の当否とは別個に考察されるべき問題であるから、単に単立寺院設文という点について考えれば、これによつて檀徒等の一般意思をふみにじるということは全くあり得ないことである。

(四) かように、原判決は松山の住職適格の当否の問題を混同し、単立寺院の設立は檀徒の意向にそわないと判示したのは、宗教法人法第二条の宗教団体の意義を誤解したものであつて違法といわざるを得ない。

以上

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